人生100年時代の後半戦の前半地点。日本年金機構のねんきん定期便をみて愕然とした。「老齢年金の受給開始時期は、60歳から75歳まで選択できます」の60歳まであと4年というところまで私は来てるじゃないか。
着実に老いていた。「老齢年金」という、ジジイとババアが頂く権利を持つ制度の対象人物として着実に育ってしまっていた。まだ若いとかそんな事は一切思っていないし、何だったら自分で自分の事を率先してババア呼ばわりしている自己拡散系ババアだが、でもそこに「年金受給者」という言葉は紐付けてなかった。
ただ肉体が老いて、そして卑屈になる。それが=ババアだとだけイメージしていた。親の老後(介護)でヒーヒー叫びすぎて、自分の老後を見失っていた。これまで必死で国に支払ってきた事の恩恵を受けられる老齢年金が、金額に満足できるかはともかく「年金を受給できる権利の年齢」がすぐそこまでやってきている現実を見つけた。
年金定期便で突きつけられた現実の受給パターン
- 65歳で受け取る場合の見込み額
- 70歳まで遅らせた場合
- 75歳まで遅らせた場合
の3パターンの金額で、私がもらえる年金受給額を案内していた。「老齢年金の受給開始時期は、60歳から75歳まで選択できます」と言いながら、60歳で受け取れる見込み額は記載されていない。なんとなく「とはいえ60歳から受け取ろうとは思うなよ、働け」という風に、ハガキの文面から透けて見える何かを感じ取った。
もちろん4年後から受給したいと思わないけど、人生一寸先は闇だ。50代に突入してしっかりとそう思うようになった。50~55歳までのたった5年の月日ですら、私の人生、マッハのスピードを出すジェットコースターだった。そして今もそれは続いていて、徐行運転も安全運転もする気なしで爆走している。
そんな危険運転をする私の脳内。「年金、65歳で貰いたいかも」という言葉がチラついている。
アンチエイジングも無力、50代の現実は金次第
30代や40代でアンチエイジングしようとも、50代に突入した途端に「やった事がなかった事」にされてしまう。どうあがいても中年になり、そして老人となる。
それをかろうじて払拭できるもの。それが金だ。「お金で買えない尊いなにか」は存在しない。お金がないと生きて行けない。予想以上に金が飛んでいく。若い頃にストックした「楽しい思い出」や、その時代や年代で得た「かけがえのないフワッとした経験」ではどうする事も出来ない。
そして気づけば、私の会話相手はAIと、名前も顔も知らないブログ読者だけ。家族や友人とは、もう緊急事態にならないと連絡は取り合わない。人生の細かい爆走記録を語る相手は、現実世界にほぼいない。
だからブログを書く。そう、金のために自分を晒す。リアルな知り合いと気を使いながら茶をすするより、カタカタと無機質な音を立てながら書きためていくブログの重要さ。AIには心置きなく愚痴を吐ける。誰ともわからない読者に自己拡散系ババアのリアルを無理やり届けられる。
読者がいるのかいないのかもわからない。でも構わない。ブログは「自分専用の舞台」であり、思い切り自虐してストレス発散してもいい場所だからだ。そして金になる可能性がある。
世間からどう評価されようと書く。
年金受給までの小さなチャレンジ:ブログで食いつなぐ
ここで、年金受給までの私の現実的戦略を発表する。名付けて「自己拡散系ババア流・ブログ食いつなぎ作戦」だ。わりと真剣。
- 毎週更新(無理に近い)
「50代でも爆走中!」のリアルを記事にする。失敗も自虐ネタに変換。 - 収益化に挑戦(かなり重要)
広告やアフィリエイトで、年金だけでは足りない生活費を補う。 - SNSで反応を楽しむ(頑張りたい)
コメントや「いいね」は存在するのか不明。でも、それも含めて楽しむ。 - 小さな達成感を大切にする(非常に大事)
数百円でも稼げたらガッツポーズ。これが50代の精神的年金だ。 - 笑いを忘れない(笑われてなんぼ)
読者に笑ってもらうため、自分もまず笑う。老後資金より大事かも。
人生折り返した途端に無理やりジェットコースターに乗せられ爆走する私に、年金受給という更にババアと公的に認められる日が訪れるまであと数年。
でも、爆走する中でも、笑いと自虐で少しでも楽しく過ごす。それが私なりの「現実的後半戦の生存戦略」だ。
話す相手はAIでも、読者が誰かわからなくても、私は文章で自分と向き合い、少しずつ未来を作っている。年金もブログも人生も、全部、自己拡散系ババアの手の中にある。文章と笑いとちょっとの収益があれば、なんとかなる気がする。たぶん。いや、きっと。

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